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2018.05.17

渋谷にラブホテル街が生まれた理由、知っていますか?

最近はちょっとディープなお洒落スポットのイメージが強い渋谷・円山町。けれどひと昔前までは円山町と言えばラブホテルと相場が決まっていました。約300軒を数えるというソレ用のホテルは、なぜこのエリアに集まってきたのでしょう?

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文/木村千鶴 写真協力/(株)アミー東京デザインルーム 取材協力・監修/金益見

渋谷の道玄坂を登った右側のエリア、住所でいえば円山町と道玄坂の一部は最近“裏渋”とも呼ばれ、レストランやBAR、ライブハウス、クラブなどが集まるお洒落スポットとして人気を集めています。
とはいえ、円山町と聞いて真っ先に頭に浮かぶのは、やはりラブホテルではないでしょうか。いまも約300軒のラブホテル(として使われる施設)が軒を連ねます。

この地区は、かつて料亭や割烹などが立ち並ぶ花街でした。渋谷駅が1885年(明治18年)に開業し、その約2年後にできたのが、円山町の温泉銭湯の隣に併設された料亭。それが大当たりしたのをきっかけに、料亭や待合が次々とつくられ、やがて花街になったそう。そして、その地域にラブホテルが立ち並ぶようになったのには、ちょっとしたワケがあったのです。

日本独自の「ラブホテル」文化が生まれた理由とは

ところで、ラブホテルって日本独特の施設だということはご存知でしょうか。
海外には“性行為を目的とした専用のホテル“というものはほとんどなく、ドラマによく出てくるモーテルも一般的な旅行やビジネスに使用されるもの。カップル専用の時間貸しをメインとしたホテルは、ほぼ日本だけの独特のスタイルなのです。
それではなぜ、日本にラブホテルという独自の施設が育っていったのでしょうか。

ここに一冊の本があります。その名は『日本昭和ラブホテル大全』(金益見・村上賢司著/辰巳出版)。巻頭には下記の一節があります。

「ラブホテル」は、堂々たる日本の文化である。
文化は仕掛けられてできるものではない。人々の欲望と密接に繋がりながら、うねりを繰り返し、生まれ、育っていく。


シビれるセリフです。
今回はこちらを参考文献とし、著者の金益見さんにお話を伺いながら、渋谷のラブホテルの歴史を辿っていきましょう。

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ラブホテルの原点は女性オーナーが作った!?

円山町のラブホテルのルーツは、お妾さんや2号さんが始めた「部屋貸し」

当時、花街の周辺には、家を与えられた“お妾さん”が多く住んでいたそうです。円山町にラブホテルが多くなったルーツのひとつがそこにある、と金さんは言います。

「渋谷ホテル旅館組合の名簿で、創業者の半分くらいが女性だということがわかりました。昭和初期頃の話ですから、女性が事業を起こすのはどれだけ大変なことだったでしょうか。円山町の花街周辺に暮らす女性は、正妻ではない方が多かったと聞いています。お妾さんのような立場で家を与えられてはいても、その先の保証はない。そこで自宅の一部などを旅館にしたことが始まりだと考えられています。最初は料理も出していたようですが、利用者の要望などに応えるうちに、部屋を時間貸しするというスタイルに変化していったようです」 
そのころの日本は、自宅にプライベート空間がない家が多く、夫婦や恋人がゆっくりふたりで過ごせる場がなかった。だからこそ、“連れ込み”との呼称があった旅館や時間貸しの部屋は繁盛したようです。
「“連れ込み”と呼ばれる旅館は、表向きは旅館なので、『ご休憩、ご商談にどうぞ』といった看板を門前に張り出すのには抵抗がありました。けれど、花街周辺で暮らす女性たちはプライドよりも生きるための術を優先しました。覚悟を決めていた女性が多かったんだと思います。どんどん看板を立て、繁盛すれば増改築を繰り返し、木造から鉄筋に建て替え、やがてラブホテルに、といった形に発展していきました。こういったことが取材していくうちにわかって、感動しましたね。花街で暮らす立場の弱い、将来が不安定な女性たちが、自分の稼ぎで暮らしを安定させる。子どもがいる方は育て上げ財産を残した。凄いことです」

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企画合戦の火蓋が切って落とされた!

高度成長期からデラックス化と遊び心探求の時代へ

一方の連れ込み旅館も、夫婦利用は増えていったようです。住空間においての寝室の誕生は少し先の話ですから、ふたりきりになれる空間へのニーズがありました。また、内風呂も普及していない時代ですから、夫婦水入らずでお風呂に入れることもウケたのでしょう。

当時の新聞を見てみると1954年(昭和29年)に大阪・桜ノ宮にあった『銀橋ホテル』の広告に、「テレビ・こたつ・ネオン風呂・電話・ラジオ完備」とあります。その時代にこの設備はまさに庶民の夢。そのあたりからホテルや旅館の“企画合戦”の口火が切られたのでは、と推測されます。
東京オリンピックを契機に高度成長期へ突入し、連れ込み旅館の新・改築ラッシュが始まります。70年代からは、これらの施設を「ラブホテル」と呼ぶ呼称も一般化し、ここから1985年(昭和60年)の新風俗営業取締法施行まで、ラブホテル業界は「デラックス化と遊び心探求時代」へ突入していきます。

さすがは“人々の欲望と密接に繋がりながら”育っていくラブホテル業界。個人所有するには贅沢な最新の設備を思いつくままに導入し、お城のような建物はレジャー施設さながら。大人の遊園地と言わんばかりに情熱的に一部屋を非日常化させる。その“特別な空間”にかける情熱はすさまじく、回転ベッドやメリーゴーラウンド、サーキット風にSM部屋まで、ありとあらゆる欲望を可視化させた時代でした。ご記憶の諸兄も多いことかと(笑)。

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それはまさにエンターテインメント空間だった

1970~80年代は、ラブホテルのハード面が注目された時代

その時代のラブホテル業界には、存在感のある個性的な人物が多数存在します。
ラブホテルの一大チェーンとなった「アイネグループ」を創り上げた小山立雄氏は1966年(昭和41年)に「レジャーハウス美松」を開業し、その後精力的にグループ傘下を増やし、全国で140店舗を展開させた業界の雄です。

亜美伊新氏はラブホテルのデザイナー。「ラブホテルという日本固有の文化をつくった男」と言われており、手掛けたホテルはなんと1600棟。ドキドキ感とワクワク感を大切に、さまざまな斬新な仕掛けで世の中を驚かせ、業界を牽引してきた人物のひとりです。

ただ、この時代は仕掛け競争のようになっていて、利用者へのサービスには関心が向けられてなかったといいます。
「1970~80年頃までは、お客さんを呼び込むための仕掛け合戦で、建物や部屋の派手さもある意味男性的でした。たとえばアメニティグッズも女性用のものはほとんどありませんでした。1部屋だけお金をかけて派手にして、宣伝材料にする。その他の部屋は簡素なんていうこともザラにあったようです。当時はラブホテルに行くといっても情報源は週刊誌がほとんどで、それ以外は大体流れで行っていたのだと思います。インターネットが普及していない時代に、わざわざ下調べをして、週刊誌で話題になっている部屋を目当てにいっても、その部屋が空いていなくて仕方なく普通の部屋にチェックインするというカップルも続出したようです」と金さん。

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男性の視点から女性の視点へ

情報誌がラブホテルを取り上げてからサービスの可視化が進んだ

その風潮が変わったのは、1985年(昭和60年)。新風俗営業取締法が施行され、回転ベッド、鏡張り、浴室の透明ガラスなど扇情的な仕掛けや装置が禁止になります。

結果ラブホテルはシンプル化を余儀なくされ、それまでのハード面の競争からアメニティグッズやニーズに合ったソフト面での勝負へシフトチェンジしていきます。これは女性がはっきり意見を言える時代になったことも大きな一因ですが、情報誌の影響も大きかったとか。
「90年代に入って、ソフト面のサービスが格段に向上しました。勿論、風営法改正によって派手な仕掛けができなくなったということもありますが、情報誌がラブホテルを取り上げはじめたことで、充実したアメニティグッズやシャンプーの貸出など、派手ではないけれど、利用者にとってはうれしいサービスが増えたんです」

それまで週刊誌で取り上げられていたのは、珍しい部屋のことが中心でした。ですが、情報誌がラブホテルを取り上げるようになり、部屋に完備されているもののチェック項目を細かく作ったのです。

「サービス面の可視化がされたわけですね。ここで初めて利用者向きのサービスが注目されるようになりました。情報誌の貢献は大きかったでしょう。ラブホテル側は女性が喜ぶサービスをせざるを得ない状況になりました。アメニティグッズは消耗品なので、本来はあまり力を入れたくない分野なのです。でも女性にとってはその部分が充実していないと困ってしまう。泊りならお化粧を直せないのは辛いですから」 

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未来のラブホテルはどうなっていくか

時代に合わせ変化していく渋谷のラブホテル

さて。話を渋谷に戻しましょう。バブル期にはラブホテル街の主役だった若者たちも、最近の草食化傾向と生活の簡素化もあって、このところはずっと利用者が減る傾向にあるのだとか。その一方で、現存する昭和的なラブホテルがインバウンドの観光名所になったり、一部のお洒落なインテリアや高級な調度を備えたホテルが「インスタ映えする」と、特に若い女性たちの女子会会場として人気になるなど、かつてとは違う利用のされ方も増えているようです。
また渋谷は大型ホテルが少ないため、宿泊部屋数が絶対的に不足しており、観光客やビジネス客の一部がラブホテルに流れて、それなりに部屋が埋まっているという話もききます。

ただ現行の条例では、渋谷区内でラブホテルの建て替えができず、不安はつきまといます。それでも街並みの変化やニーズに合わせ、マーケティング巧みに、貪欲に進化を続けてきたこの業界の方々。また面白い仕掛けをして新しい展開を見せてくれるのでは?と期待したいところです。

● 金益見(キム・イッキョン)

1979年7月生まれ。大阪市出身。人間文化学者。神戸学院大学人文学部講師。2008年『ラブホテル進化論』により、橋本峰雄賞受賞。その他著書に『性愛空間の文化史「連れ込み宿」から「ラブホ」まで』などがある。

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