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2018.05.25

トライアンフ ボンネビルT120

バイクとともにあった筆者の青春。約四半世紀後、青春時代に憧れた「ボンネビルT120」を目の前にして再び恋に落ちた。

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文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

以前にも書いたが、僕の青春はバイクと共にあった。

16才でバイクに乗り始め、19才で4輪に転向するまでのほとんど毎日をバイクと共に過ごした。文字通り、雨の日も、風の日も。

時は流れて、40才代半ばになった頃、再びバイクへの強い思いが湧き上がった。

それまでもオフロード好きの友人に誘われて、トライアルの真似事をしたり、トレールバイクで山に行ったりした時期もあった。が、あくまでも「付き合いレベル」。

だから、その時買ったバイクは、平凡かつ無難な選択でしかないホンダXL250だった。一応チューニングしたりもしたが、それも中途半端。鞭が入ることはなく、なんとなくフェードアウトしてしまった。

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前に戻る。バイクへの思いが湧き上がったとなれば、久しく見ていなかったバイク雑誌にも手が伸びる。

そしてある時、ズシンと胸を刺す記事に出会った。「トライアンフ特集」。若い頃、いちばん憧れていた英国製大型バイクだ。

その特集でもっとも多くのページを割かれていたのが「ボンネビルT120」。写真を見ても、記事を読んでも「昔と変わらないボンネビル」に、強く惹きつけられた。

中速回転域の力強いトルク、官能的とさえ言えるピックアップと鼓動感、切れ味鋭い排気音、重量級を感じさせない軽快な身のこなし…知人が乗せてくれたボンネビルの感触が次々蘇ってきた。

「4半世紀も経っているのに、このドキドキはいったいなんなんだろう!?」。不思議な感覚だった。

特集の最後は「ボンネビル T120は近く生産終了の情報も出始めています」との記述で締め括られていた。実際の生産終了は89年だったようだが、ともかくその危機感がまた胸に刺さった。

当時住んでいたのは、東横線の都立大学駅から徒歩5分といったところ。トライアンフの代理店、渋谷区笹塚の村山モータースには、クルマなら20分程度で行ける。

で、行ってしまった。結果はおわかりだろう。ボンネビルを前にして、もうなすすべはなかった。リターンライダーの誕生だ。

在庫があったので納車は早かった。とりあえず用意した簡単なウェアをもって村山モータースに行った。ピカピカに磨き上げられたボンネビルが店の前に置いてあった。直感通り、それが「僕のボンネビル」だった。

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「ウォーミングアップしときましたから、すぐ出てもいいですよ」とお店の人。とはいっても大型バイクに乗るのは4半世紀ぶりだから、上手くキックできるのか。まずそのあたりから不安になった。

でも、エンジンはすぐかかった。「いや〜、キックお上手ですね!」とおだてられた。
嬉しかったが、どうしてうまくキックできたのかよくわからない。それを言うと、「身体が覚えているんですよ。大丈夫です。すぐ以前の感覚が戻ってきますよ」と励まされた。

最短で家に帰るなら環状7号線を使えばいいが、トラックが多いし、退屈。そこで、新宿、原宿、青山、渋谷を巡る超迂回路を選択した。パレードでもやるかのようなルートだ。

ちょっとひとっ走りして、という気持ちもあったのだと思うが、賑わった華やかなルートを走って、「僕のボンネビル」を見せびらかしたかったというのもあったと思う。

一発でエンジンはかかったし、650cc バーチカルツインの鼓動感、トルク感、排気音も、記憶通り、憧れ通りだった。久しく忘れていた「官能的」という言葉を思いだした。

6気筒のホンダCBX1000 (鈴鹿サーキットで試乗)を始め、国産多気筒高性能バイクにも複数台乗ったことはあったが、胸を揺さぶられるようなワクワク感を抱いたことはなかった。

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で、ちょっとひとっ走り、に話を戻すが、これが大誤算だった。まずやられたのは左手。重いクラッチに握力が奪い取られてゆく。新宿の混雑に入った辺りから「やばい!」と感じ始めた。

原宿の混雑で、とうとうクラッチが握れなくなった。左手はパンパン。仕方なく路肩に停めた。アクセルグリップを握る右手もかなり疲れていた。

筋力には自信があったが、「ボンネビル用筋力」はまったくダメだった。国産バイクではなんの問題もなかったのに。完全に予想外のことが起きてしまった。

休んで、腕をほぐして、再スタートの時にまた問題が起きた。始動のキックが上手く決まらない。体力が消耗していて、勢いのいいキックが踏めなかったからだろう。

やっと始動したときにはもうヘトヘト、いや、ヘロヘロだった。原宿の賑わいの中、ボンネビルを見せびらかそうというさもしい思いは見事裏目に出た。完全敗者の気分だった。

以後は、できるだけクラッチを使わないようなルートを選び、スピードも調整して、なんとか家までたどり着いた。

ボンネビル用筋力がつき始めたと実感できたのは1週間後くらい。ハネムーンの伊豆1周のツーリングに出かけたのは、たしか2週間後くらいだったかと思う。
●岡崎宏司/自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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