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2017.10.26

サニー1000でノンストップ日本一周

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文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト)
イラスト/溝呂木 陽
1960年代、日本のモータリゼーションは一気に花開いた。多くの人たちにとって、クルマは「夢の存在」ではなく「現実的な存在」に変わった。とくに、1966年に誕生したカローラ1100とサニー1000はその象徴だった。
 
カローラ1100は見事なクルマだった。数年前に触れる機会があったが、デザイン、品質、実用性・・・改めてレベルの高さに驚かされた。価格こそ大衆車だったが、「隣のクルマが小さく見えま~す!」のキャッチコピー通り、立派なクルマだった。
 
一方のサニー1000は一回り小さいだけでなく、デザインもシンプルで、かつ軽量。日本的価値観で勝負したカローラは幅広い人気を得たが、欧州的価値観をベースにしたサニーの人気は「クルマ通」的な人たちが中心だった。ゆえに、販売面ではカローラが圧勝した。
 

僕が好きだったのはサニー。カローラには大いなる敬意を抱きつつ、サニーに惹かれた。
シンプルなデザインも好きだったが、なにより惹かれたのはパフォーマンス。軽さとしなやかなフットワークが生み出す走りは、当時の日本車では「ありえない」レベルだった。
 
自動車雑誌「ドライバー」の編集者だった僕は、そんなサニーの魅力/実力を誌面で伝えたいと考えた。それが「ノンストップ日本一周」企画だ。編集長からは一発でOKをもらい、日産からもOKがでた。
 
編集部はむろん総出だが、社長までドライバーを買って出てくれた。嬉しかった。
ノンストップだから、地続きでなければならない。従って北海道と四国を外し、本州と九州の沿岸部をグルリと一周することにした。給油時以外はエンジンを止めずに。
ドライバーは二人一組。3チーム編成で、それぞれが2回走行する。総距離は5000km弱だったかと思うが、1チームが800km程度の距離を2回つづ走る。1回目を走り終えるとすぐ、列車で2回目の中継地に移動する。
 
まだ地方の道路は整備されておらず、いわゆる「砂利道」も多かった。工事中の渋滞や通行止めでの強制迂回も何度となくあった。とくに北陸地方は難航。多くの時間を費やした。
 
「事故は絶対起こさない」ことが唯一の取り決め/約束だったが、社長も編集長も、それ以外のことはひとことも言わなかった。できるだけ短時間で、高い平均速度で走り切ることが「ノンストップ日本一周」の価値を高めることを理解していたからだ。僕もそのつもりで走り、飛ばした。みんなも飛ばした。でも、速度違反で捕まったのは一人。社長だけ。これは後々まで笑いのタネになった。
 
サニーはほんとうによく走った。曲がりくねった山道も速かったし、砂利道にもタフで速かった。僕はラリーのようなペースで走らせたが、難なくついてきてくれた。期待通りだった。サニーは日本一周を平均時速50k m/h 超で走り切った。
 
細かい数字は覚えていないが、50k m/h をわずかに超えたことは覚えている。名神高速道路は開通していたが、それ以外は一般道路であり、渋滞や工事ストップ、迂回等々、さまざまな障害に出会った。なのに50k m/h 超のアベレージはすごかった。今考えても、信じられないハイペースで走り切ったのだ。
 
僕はもちろんだが、みんながサニーの性能を信頼して、アクセルを深く踏むことに躊躇しなかったのだろう。いや、というよりも、サニーの運転を楽しんでいたという方が正解かもしれない。
 
目立つ存在ではないが、サニー1000は間違いなく「日本の名車」と呼ぶに値する。
 
●岡崎宏司/自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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