文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト)
イラスト/溝呂木 陽
シトロエン11CV、通称「トラクション・アヴァン」。このクルマを知っているのは、ま、クルマ通といわれるような方々に限られるだろう。

ひょっとしたら、1950~60年代頃のフランス映画ファンであれば、覚えているかもしれない。ジャン・ギャバンやジャン・ポール・ベルモントの時代だ。

当時のフランス映画には、街の光景の一部として、11CVが映っていた。あるいは主人公の愛車として、とくに主人公がギャング系だったりすると、その愛車として必ずといっていいほど登場した。
 

11CVのデビューは1934年だから、戦後にはもう「旧びて見えたはず」だが、僕にはカッコよく見えた。1957年まで生産されたが、一度として、「旧い」とか「カッコ悪い」と思ったことはなかった。いや、カッコいいと思っていた。アメリカ車ファンなのに、どうして……。ジャン・ポール・ベルモントのファンだったからかもしれない。
で、なぜ、11CVの話なのかというと……家内と付き合い始めて間もない頃、家内の兄が11CVを手に入れたのだ。2CVだけでも驚いたのに、その次が11CVとは。

「とんでもない人もいるもんだ!」と呆れつつ、内心では大喜びだ。並の環境では絶対に触れないようなクルマを身内が手に入れたのだから。そういえば、家内の兄もフランス映画好きだった。

確かめたことはないが、ジャン・ギャバンのファンだったはず。となれば、11CVに引かれる理由はわかる。
 

初めにも触れたが、シトロエン11CVは「トラクション・アヴァン」の愛称で呼ばれる。

トラクション・アヴァンとはフランス語で「前輪駆動」の意味だが、11CVは量産車としてはもっとも早く前輪駆動を採用したので、そのメカ的特徴が愛称として一般化されたということらしい。
 

初めて目にした11CVには改めて見惚れた。

プロポーションはいいし、黒のボディにオフホワイトのホイールもいい。後ろヒンジ、前開きのドアもいい……最新のアメリカ車に較べてもカッコよく見えた。

ガキのくせに「大人の粋がある!」みたいなことを口走った記憶がある。フランス映画の洗脳力はかなりのものだったのだろう。
 

2ℓ・4気筒のエンジンと3速ギアボックスによる走りの記憶はない。速くも遅くもなかったのだろう。乗り心地にも定かな記憶はない。

しかし、強烈に記憶していることがある。ステアリングの重さと回転半径の大きさだ。
 

当時の僕は背筋力が200kgを超えていた。そんな僕が「なんだ、このクソ重いハンドルは!!」と悪態をついたほど重かった。ハンドルを切るときのギクシャク感も気になった。
 

運転するまでの「大人の粋」「フランスの粋」への想いは冷めた。11CVを運転するフランス伊達男たちは、毎日腕立て伏せでもやってるんだろうか……とか、くだらないことが頭を過ぎた。
 

11CVはごく短期間で岡崎家を去った。故障したときに部品手配の手間と時間がかかりすぎる、のが手放した理由と聞いた。が、たぶん「毎日腕立て伏せをしてまで乗りたくない」といったところが、ほんとうの理由だった気がする。
 
●岡崎宏司/自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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