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2017.06.22

ワンマン道路で鎌倉に  

吉田茂首相によって建設が決まったワンマン道路(戸塚道路)。湘南海岸をぐんと身近にしたこの道路のおかげで、1950年代の首都圏の若者の遊びが変わったらしい?

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文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

「ワンマン道路」ってご存じだろうか?

若い頃、首都圏に住んでいたクルマ好きのシニア層ならご存じかと思う。横浜市戸塚区を抜ける国道1号線のバイパス(横浜新道)で、1953年に開通。ワンマン宰相といわれた当時の吉田茂首相の鶴の一声で造られた道路であることから「ワンマン道路」と呼ばれた。 

吉田茂首相は大磯の自宅から東京へ通う際、通らなければならない戸塚駅前の「開かずの踏み切り」に業を煮やし、バイパスを建設したとされるが、このバイパス開通は多方面に大きな恩恵をもたらした。国道1号線の流れが劇的に改善されたことが最大の恩恵だが、他にもいろいろな恩恵をもたらした。

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高速道路などない時代に片側3/4車線の自動車専用道路が首都圏にできたのだから、クルマ好き、バイク好きに注目されたのは当然だ。果たして、週末のワンマン道路はちょっとしたモーターショー状態になっていった。

1950年代は4輪も2輪も、とくに外国車は多くの人たちにとって「夢の対象」であり、「遠い存在」だった。しかし、東京を中心にした首都圏にはそれなりに外国車が存在した。

2輪なら、トライアンフ、BSA、ノートン、BMW、ハーレイ等々、4輪なら、アメリカ車を中心に、MG、トライアンフ、オースティン、メルセデス・ベンツ、VWビートル等々が目立った。そんな人気外国車が、天気のいい週末にもなるとワンマン道路に続々と集まる。

それを見たい見物人も集まってくるが、人気外国車のオーナーをやっかみの目で見るような人はほとんどいなかったはずだ。いつかは自分も、といった素直な気持ちでオーナーを見つめていたように思う。人気外国車のオーナーは、単純に多くの人たちの憧れであり、ヒーローだった。そんな時代だったのだ。


ワンマン道路は、首都圏の若者たちの人気スポットだった湘南海岸にクルマで行く時間をもグンと短縮してくれた。

1956年、石原慎太郎の「太陽の季節」が芥川賞を受賞すると、湘南海岸人気はさらに加速。とくに夏場、若い恋人たちは「そうすることがルール」でもあるかのように湘南海岸を目指した。

当時、クルマを持っている男はモテたが、ワンマン道路は、「今から鎌倉行こうか!」といったセリフを簡単に言えるようにしてくれた。併せて、高速でクルマを運転する男をカッコよく見せてくれもした。短時間ながらも高速走行できる貴重な場でもあったのだ。

僕も、運転免許をとって以来、クルマでバイクで湘南詣でを繰り返していた。多いときは週に3回くらい行った。ワンマン道路がなければ、僕のこうした行動パターンはまったく別のものになっていただろう。吉田茂ワンマン宰相には今も感謝している。

●岡崎宏司/自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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