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2019.06.02

年100日を超える海外体験で得たものとは?

自動車ジャーナリストとして、世界中を駆け巡ってきた著者。そのなかで感じてきたこととは?

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文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第97回

年間100日を超える日々を海外で過ごした 

前にも書いたが、僕が初めて海外に出たのは1964年。24才の時。一般人が観光目的での海外旅行を初めて許された年でもある。

ちなみに、羽田から飛んだ飛行機はDC6B。
長距離用としては「最後のプロペラ機」と言われた機体だ。

予算は超シビア。当時の外貨持ち出しは500ドルが限度。隠して高額を持ち出すのは難しくはなかった(ほとんど調べなかった)が、親は「500ドルでどこまで旅が続けられるか、チャレンジしてこい」と、500ドルしか出してくれなかった。

僕が回ったのは、LA、NY、ローマ、パリ、ロンドン。まあ、世界1周といえばいえなくもない。

そして500ドルで続けた旅は2ヶ月。当時は1ドル=360円の固定レートだったが、1日当たり3000円=8ドルで旅を続けたことになる。

飛行機のチケット以外はすべてこの予算で賄わなければならない。現地での移動費も、食費も、宿泊費も、、すべてだ。

でも、僕には、それが辛いと思った記憶はほとんどない。2ヶ月の日々は楽しいものだった。
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それができたのは、行く先々で多くの友達ができたことにある。そんな友達の家に泊めてもらい、食事をさせてもらい、あちこち連れて行ってもらったりもした。

英語もできず、500ドルしかもたない僕が、外国での日々を2ヶ月も快適に過ごせたことは、当然自信になった。

以来、海外への旅は、僕の人生から外せないスケジュールになった。さすがに20代ではお金もなく、年に1回出られればいい方だった。

が、27才でフリーランスになり、幸い、仕事に恵まれたことで、30才に届く頃にはお金に余裕もでてきた。

それからは、時間がとれさえすれば海外に出かけるようになった。

1980年代に入ると、海外メーカーの現地試乗会に呼ばれるようになり、年を追う毎にその回数は多くなっていった。

同時に、雑誌の取材や、内外メーカーからの仕事の依頼も増え、海外出張は特別なものではなく、日常のものへとなっていった。

1980年代半ば頃から2015年まで、、75才を境に海外での仕事を自粛するようになるまでの約30年間は、平均で10〜15回、多いときは20回を超えたこともある。

もっとも多いのは、海外メーカーの招待による国際試乗会への参加。これは、新型車に早く乗れるだけでなく、開発者に直接話も聞けるし、日本の道路ではとても入れない速度領域を体験することもできる。
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こうしたことはもちろんありがたいのだが、僕にとってそれ以上にありがたいというか、嬉しいことは、「数多い未知の土地を街を体験できる機会がもてること」。

つまり、数多くの旅を体験できることだった。

現地へ行くと、空港の雰囲気を楽しむことから始まって、バスでの移動中も窓外を過ぎるあれこれを楽しんだ。新しい土地に街に人に意識して目を向けた。

意識して目を向けていると、いろいろな気づきが生まれる。ボンヤリしていると見えないことも見えてくる。そうしたことが積み重なれば、経験の厚みになり、いろいろな発想の源泉にもなる。

だから、僕は同じ土地を旅しても、年に15回〜20回海外に出ることが30年間続いても嫌だと思ったことは1度もない。面倒に思うこともなかった。いつも新たな気づき/発見が待っているからだ。

僕は自動車ジャーナリスト。だから、表に出るのは、メディアに「試乗記」等を発表するのが中心になる。実際、それは多いし、今までに書いた原稿の量を改めて振り返ると、背筋が強ばりそうな気にもなる。

その一方で、表に出ない仕事も少なくない。いや、むしろ多いといった方がいいだろう。

どんな仕事かといえば、車両開発過程でのデザインやハードウェア評価であるとか、コミュニケーション分野でのアドバイザー/コンサルタントといった仕事だ。

こうした仕事の相手は、メーカー、インポーター、広告代理店、プロダクション、、といったところが主になる。

1日、あるいは1泊で終わる仕事もあるが、海外での仕事となると1週間、2週間ということも度々ある。

アラスカのフェアバンクスからLA、バルセロナからノルウェーのベルゲン、LA/NY往復、シドニー/エアーズロック往復、、長距離を走る仕事も少なくなかった。
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ほんとうにいろいろなところに行った。多くの国に、街に、道に、そして人々に出会った。

1年で100日を超える日々を旅先で過ごす生活への周りの反応は「大変な仕事ですね!」「さぞお疲れでしょう!」「時差ボケどうするんですか?」、、みたいなことになる。

でも、僕は、大変だと思ったこともないし、疲れたと思ったこともない。時差ボケに苦しんだこともない。

基礎的な体力があるのかもしれないが、旅向きの身体や神経を生まれついてもっているのかもしれない。

日本食への拘りがまったくないのも旅向きといえるだろう。海外に出たら、その土地の食事が楽しみで、ご飯や味噌汁を恋しく思うことはまるでない。

海外でも和食屋は多くあるが、自分の意志で行こうと思ったことはない。大都市のホテルでは、和朝食を用意するところも珍しくないが、いつも洋食しか食べない。

75才で自粛に踏み切ったのは、僕の意志というより、「もう、いい加減にしたら!」と、家内からお叱りを受けたのが理由。

でも、自粛は仕事だけ。個人での海外への旅は足腰がまっとうな間は続けるつもりだ。今でも年に2回は家内と出かけている。

昨年暮れはウィーンに行ったが、この初夏にはホノルル、クリスマスはミュンヘンで過ごそうと思っている、、旅は楽しい!!

● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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