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2019.04.14

日本車初のミッドシップカー、トヨタ「MR2」はどう誕生したのか?

日本車初のミッドシップカーとして発売当時大きな話題をさらったのがトヨタ「MR2」だ。扱い安い性格と、価格帯で、若者を中心に大人気となった。その開発秘話を著者が明かす!

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文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第91回

ミッドシップスポーツ、トヨタMR2の開発 

日本車初のミッドシップカーといえば、トヨタ「MR2」。1984年に誕生。その年の日本カーオブザイヤーを受賞した。

知っての通り、ミッドシップカーは身のこなしにもトラクションにも優れている。ゆえに、レーシングカーはもちろん、スポーツカーにとっても魅力的なレイアアウトだ。

、、が、限界領域の挙動はトリッキーになりがち。現在のような優れた制御システムのない時代だから、コントロールは難しく、乗りこなすにはかなりのスキルが求められた。

そんなミッドシップカーながら、トヨタがMR2に求めたのは「誰にでも気軽に楽しんでもらえるスポーツカー」であり、その中には、当然、誰もが手の出しやすい価格での提供ということも含まれていた。

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なので、MR2を構成する主要コンポーネントのほとんどは既存車からの流用。エンジン、トランスアクスル、足回り等々、心臓部のほとんどはE80型カローラから流用した。

そんな成り立ちのMR2、、僕は開発初期段階から関わっていたのだが、テスト走行ではかなり怖い思いをした。

ミッドシップカーは、身のこなしはいいし、速くもあるが、限界領域はトリッキーでコントロールが難しいことは当然知っていた。

ロータス・ヨーロッパやフェラーリ308辺りでは、何度かスピンを経験していた。リアのグリップ限界は高いのだが、限界を超えると一気にスピンモードに突入!、、まあ、そんなイメージを抱いていた。

フェラーリ308は、トライを重ねる内になんとかコントロールできるようになったが、ロータス・ヨーロッパはそうはゆかなかった。
たまにコントロールできることもあったが、
あくまでも「たまたま」の領域は抜け出せなかった。

そんなことで、ある程度はミッドシップカーとの格闘の経験もあったわけだが、MR2との格闘は生やさしいものではなかった。
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とくに開発初期の試作モデルはヤバかった!。ちょっとした経験などほとんど役に立たなかった。それほどMR2との格闘は難しかった。 
というのも、ボディも、シャシーも、パワートレイン系のバランスも、、とにかく全体が弱く、踏ん張りがない。

さらには、どこから先がアウトなのかが掴めない。「そろそろヤバいですよ!」との警告、インフォメーションがほとんどないのだ。

ので、追い込むと、踏ん張る間もなく、策を講じる間もなく、いきなり腰砕け状態に陥ってスピン、といったことになる。

怖かった理由はまだある。
潔く、その場でクルリとスピンしてくれればまだいい。ロータス・ヨーロッパはこの類だ。

が、MR2は、グニャグニャした状態から、わずかなコントロールの位相差によって強い揺り戻しが、、。そうなるともう手に負えない。

走るのはもちろんテストコースが中心だが、芦ノ湖スカイラインを貸し切るなどもした。
僕も芦ノ湖スカイラインを走ったが、上記のような初期の試作車で走るのは怖かった。

芦ノ湖スカイラインのあれこれはすべて頭の中に入っているのだが、そんなものはほとんど役に立たない。

大好きな芦ノ湖スカイライン、自在に楽しめる芦ノ湖スカイラインが、この時ばかりはまったく楽しめなかった。
はじめの頃は、アンダーステアが強く、グリップ限界も高くないのに、限界挙動はシビア。未来への明るい光はまるで見えなかった。テストが苦痛だった。

しかし、回を重ね、ハードワークを重ねてゆくにつれて、徐々に灯りが見えるようになっていった。

MR2の前後重量配分はほぼ45:55。人が一人でも二人でも、燃料が多くても少なくても、重量配分の変化は少なく、重心も低い。

足腰や空力の強化が進むにつれて、そんな基本スペックが功を奏し、未来の灯りが見え始めた。MR2が求める、走る楽しさと安全性、そして快適さのバランスポイントは、徐々に高まっていった。

MR2はキレッキレのミッドシップスポーツではない。が、日常の走りの中に、誰もが気軽に楽しさを感じられる、、周りとはちょっと違うクルマに乗っている喜びを感じられる、、そんなクルマに仕上がった。

それは目標でもあったわけだから、MR2チームは、困難な道程を1歩1歩克服しながら、目標にたどり着いたことになる。

僕も初めのうちは、腰が引けたり、落ちこんだりしたことが何度もあった。でも、最後は、チームと共にハッピーなゴールができた。

日本初のミッドシップカーであるMR2。その開発チームの一員に加われたことが誇らしかったし、嬉しくてならなかった。

生産モデルがラインオフした直後、芦ノ湖スカイラインに走りに行った。よく晴れた日だった。厳しかった開発過程のあれこれを思いだしながら走った。

窓を開け放って、ゆっくり走った。なんともいえない心地よさが身体を過ぎっていった。

● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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