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2019.03.24

三菱ラリーチームに密着!レジェンド評論家が語る、人気連載「岡崎宏司のクルマ備忘録」第88回

国際ラリーで華々しい戦績を残した三菱のラリーチーム。初総合優勝の前年に密着取材した著者が当時の様子を語ります。

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文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第88回

サザンクロスラリー、三菱チーム同行記

僕がラリー好きなことは前にも書いた。学生時代はドライバーとして参加もしたし、コンスタントに上位の成績を挙げてもいた。

関東一円を巡る高速ラリーで優勝したこともある。ウソをついて父親のメルセデス220Sを持ち出し、エントリーしたときのことだ。

そんなことで「ウチと契約しないか」といった声がメーカーからもかかった。すごく嬉しかったが、「ラリーは学生時代だけの遊び」と決めていたので、お断りした。

そうしたやりとりの中で、メーカー関係者との交流もでき、友人付き合いをするまで仲良くなった人もいた。そんな中の一人が、後に、監督として三菱ラリーチームを長く率いた木全巌だ。

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僕が大学を卒業してモータージャーナリストになると、仕事としての三菱との接触機会は増え、並行して木全巌との付き合いもさらに密になっていった。

そんな時期、三菱は国際ラリーに力を入れはじめ、1967年には日本のメーカーとしては初めて、コルト1100Fでサザンクロス・ラリーに出場。その後も出場を重ねてクラス優勝するなどチーム基盤を固めていった。

そして、1972年にはギャランでついに総合優勝。日本のラリー史に残る偉業を成し遂げた。以後、ランサーにバトンが渡されてからの三菱の快進撃は知っての通りだ。

で、ここからが本題なのだが、総合優勝前年の1971年、僕は現地での準備段階からオーストラリア入りし、ほぼ1ヶ月、三菱チームと行動を共にした。

ラリー史に残る三菱の勝利への道程、、そのほんの一部でしかないものの、外から見ただけではなく、三菱チームの一員として見届けたことになる。

僕は31才。フリーランスとして多くの仕事を抱えていたが、必死に調整して時間を作った。
連載は前倒しで書きため、そうできないものは、「オーストラリア通信」みたいな特別編にしてもらい、現地から原稿を送った。
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僕のポジションは「同行記者」。三菱チームの動向を日本のメディアに発信する役割だ。
もちろん、その仕事はキッチリやった。

チームメンバーとはすでに顔見知りだったこともあって、すぐ溶け込めた。心地よいチームだった。

が、溶け込み度が密になるにつれ、チームの僕への接し方は変わっていった。よそ者ではなく身内になっていったのだ。

密着取材といっても、ムービーを撮る訳でもない。インタビューを繰り返すわけでもない。原稿は、夜、ホテルの部屋で書く。

チームと一緒にいるときは、監督やメカニックの動き、やりとりに目を凝らし、耳をそばだて、いいストーリーを書けるよう頑張っていた、、のだが、チームのみんなには、なにもやることのない暇人に見えたのだろう。

かといって、メカニックの手伝いをするスキルもない。後片付けくらいがせいぜいだ。

そんな状況に「身内意識」が重なった結果、僕に与えられたのは「雑役係」。具体的にどんなことをやったのかは忘れたが、いちばん役に立てたのは、チームの移動に使っていたVWマイクロバスの運転手。

初めは当然お客さんだったのだが、数日後、「運転してみない?」みたいにいわれ、気軽に受けたのが運の尽き。以後、オーストラリアを離れるまで、チームバス専属運転手の役を解かれることはなかった。

ふだんの運転は面白くも何ともなかったが、ラリー本番中の移動の運転は最高に面白かったし、楽しかった。

本番がスタートすると、サービスクルーはラリー車を追って移動。ショートカットして、先回りして、サポートして、、を繰り返す。

サザンクロス・ラリーは基本ナイトラリー。晴れた日の夜空は無数の星で覆われ、サザンクロス=南十字星がクッキリ見える。
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テントを張って、ハンモックを吊って、夜中、見つめていたいほど美しい星空の下にいながら、ラリー関係者はひたすらハードワークをこなすしかない。

VWマイクロバスは知っての通り速くない。それに6〜7人のメカニック/スタッフを乗せて移動する。トラブルさえなければ間に合うようになってはいるのだが、十分な余裕があるわけでもない。

となれば、とりあえず全開で行くしかない。ショートカットは舗装の一般路がメインになるが、基本的に山奥だし、夜なので道路は空いている。

上り勾配はひたすら遅い。だから、下りとコーナーで稼ぐしかない。

僕が頑張って飛ばすと、マイクロバスのキャビンは盛り上がる。「いけーー!」「もっといけーーー!」「今の攻め甘いぞーー!」みたいなカケ声が上がって背中を押す。

「若気の至り中!?」だった僕も調子に乗ってさらに踏む。コーナーで3輪車になったりすると、さらにヒートアップする、、。

「ラリー車より速かったんじゃない!?」とか、「来年はドライバー契約するようおエライさんに言っておくよ!」とか、、みんなで大笑いしたものだ。

とはいえ、ヒートアップしながらも、調子に乗りながらも、「限界を超えることは絶対にしない」と僕は心に誓っていた。そんな気持ちが伝わったからこそ、チームも心を許してくれたのだろう。今でもそう思っている。

残念ながら、71年のサザンクロス、、ギャランは総合3位に終わった。でも、速さは十分見せていた。

そして、翌72年、1.5ℓから1.6ℓに排気量アップしたギャランは、ついに、国際ラリー初の総合優勝を三菱にもたらした。

素晴らしい1ヶ月だった。三菱チームはほんとうに暖かいチームだった。それでいて黙々とハードワークをこなした。

オーストラリアで三菱チームと苦楽を共にした1ヶ月、、これは宝物級の思い出だ。

● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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